『長い旅の途上』星野道夫著
大学3年の就職活動でエントリーシートに好きな本のことを書いて、
肩の力が抜けて地に足のついた文章だと書いた記憶がある。
本書は星野道夫の遺稿集である。
大人になって私たちは子供時代を懐かしく思い出す。おそらく一番懐かしいものは、
あの頃無意識に持っていた時間の感覚ではないだろうか。過去も未来もないただその一瞬一瞬を生きていた、もう取り戻すことのできない時間への郷愁。星野道夫はそう書いている。
瞑想がそうだったが、今に意識を向けることを取り戻すのがその目的だった。
星野道夫は自然と触れ合ううちに自然と瞑想と同じような状態を
自ら作り上げていたのではないか。
星野道夫はアラスカの自然の中に長く暮らすうちに、ふと、多くの選択があったはずなのに
どうして自分はここにいるのか、と思うようになったのだと言う。アラスカに
移り住み始めた頃は緊張していてアラスカの自然は優しく語りかけてはこなかったが、
歳月が過ぎるうちに風景は別の言葉で語り始めていたのだと言う。
今の自分にこの言葉を投げかけると、果たしてこの言葉に対する答えを
強い意志を持って答えられない気がする。
私たちが生きていくと言うことは誰を犠牲にして自分が生き延びるかと言う
日々の選択であると言う。それは悲しみという言葉に置き換えてもいい。
現代社会に生きていてその悲しみを感じることが薄くなっている。
ほぼないと言っても過言ではない。食べ物から自然を感じる、尊ぶ感覚を
持つということがアラスカの狩猟民は持っていて、現代社会に生きる私たちにはない。
星野道夫曰く、自然とは人間のためでも、誰のためでもなく、それ自身の存在のために
息づいているものだと言う。そして、それは同時に、僕たちが誰であるのかを、
常に意識させてくれた。
自然を感じ、今を感じる。どんな哲学よりも自分を問うているのではないか。