『漂流』角幡唯介著
1994年、沖縄のマグロ漁師・本村実はフィリピン人船員らとともに37日間会場を
漂流したのち、奇跡的に通りがかった船に助けられて生還を果たした。
しかし、彼は8年後、再び漁に出て、今度は二度と戻らなかった。
沖縄の伊良部島にある佐良浜の漁師であった彼は海とは切っても切れない強い結びつきに
あったのかもしれない。だから一度大変な目にあっても再び海に出ることを決意したのだ。
ただ、その結びつきも海に魅せられたからと言うよりかは、佐良浜の漁師が歴史的に
海と離れられない運命にあるかのような生活を送ってきたことによるところが
あるかもしれない。
補陀落僧と言われる、民衆を浄土に導くために渡海した僧侶が起源と言われる佐良浜の民。
当時禁止されていたダイナマイト漁。
南方カツオ漁による荒稼ぎとフィリピンなどでの現地妻。
陸の人間には分からない海の民としての彼らの血が本村にも流れていたのだ。
本村は最初の漂流では船長であったのだが、食料や水がなくなった時に
同乗していたフィリピン人船員らから途中殺されて食われるかもしれないと言う
ところまで行っていたそう。ただ、フィリピン人たちもそんな力が残っていなかったので
結局はそうもならなかったようであるが。
本村が生還したのは決して英雄的なことではなく、
海上での失敗があったから漂流していたのであって、助けられたのも幸運なだけだった、
と言うのが海の民の視点であるので、生き恥を晒していることになるのだった。
板一枚下は地獄と言われる海に生きる民と、そこを漂流と言う命のギリギリのところを
行った人間と海との宿業とも言うべきつながり。
自分には中々分かり得ない世界かもしれない。